Wikipediaによると
「人の力ではどうしようもない巡り合わせ」
ということらしい

本当にそうだろうか?

確かに、起こったことを「点」で考えれば、それは運と呼ばれると思うが、人生は「点」ではなく、「円」から「点」を選び「線」になって繋がる

僕も不幸な事件を耳にしたときに、
「運命だったんだな」
とよく思う

それは、外的要因を意図するものではなく、単に本人がその過程までの取捨選択をさして「運命」としている

行いが良いだとか、行いが悪いだとか、言うつもりもない

勿論、個人のみの取捨選択によって作られたのではなく、多くの人々のそれ「線」が重なった「点」がそこにあったという事だ

運(うん)は、訓読みすると運ぶになる

ラッキーの意味で捉えてる人からすると、「(人知を越えた何かに)運ばれる」と取るのだろう

僕はこう解釈する
「(自らの選択により、自らを)運ぶ」

蛇足ではあるが、「人生とは?生まれてきた意味とは?」を天に問う人たちも前者である、後者であれば「そもそも生まれてきた事に意味などなく、自ら意味を生み出すのが人生」だと理解していると思う

生物的に見れば、生態系を壊さない程度の子孫繁栄以外は求められるはずがない

話を戻すが、結局のところ「他人依存」か「自己責任」かの差である

これは、思い掛けない不幸な事が起きた後に大きな影響を及ぼす
(亡くなってしまえば、元も子もないが)

おそらく、他人依存の前者は、「運がなかった、次は上手くいく(もうこんな事はない)」となるだろう

後者の自己責任タイプは、「この状態を引き起こした(巻き込まれた)、自分の要因はなんだったのか?次にこういった事に遭遇しない為には、どうするべきか?」

後の前者と後者の不幸にあう確率はどうなるだろうか?


車屋として、分かりやすい事例を上げると、「何度も追突事故にあう人」
保険の割合で、100:0で追突された方は100%被害者であるがゆえ、運がないと言われる傾向にある

全てではないが、「自己中心的な運転の仕方」が目立つ傾向にある
ギリギリでウインカーを出して突然曲がる
信号待ちなど、車間距離を異常に取って停止する
ルールさえ守れば問題ないという思い

追突されるべくして、追突されてる人たちは少なくない(追突する側が、悪いのはもちろん前提として)

「運」という言葉に甘んじてませんか?という自分に対しての苦言でした 笑
 
全ての人たち(意志を持った生き物)の「点」「円」「線」が、折り重なりいいことも、悪いことも起きるわけで、決して神や仏の御心や天罰ではなく、「自分で行動(判断)した結果」だと思う方が合理的で、しっかりと自分に落とし込みができ、今後の対策がうてると思います

※歯切れが悪くなりそうだったので、所々断定的な言い回しをしてますが、あくまでも僕個人の憶測の範疇を越えませんので悪しからず